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東京高等裁判所 昭和31年(お)13号 決定

東京拘置所小菅支所在監

再審請求人 平沢貞通

右弁護人 磯部常治

同 丹篤

右の者に対する強盗殺人、同未遂、殺人強盗予備、私文書偽造、同行使、詐欺、詐欺未遂被告事件について、東京高等裁判所が昭和二十六年九月二十九日言渡した判決に対し、同人から再審の請求があつたから、当裁判所は検事及び請求人の意見を聴いた上、次のとおり決定する。

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

本件再審請求の理由は末尾に添付した

一、平沢貞通名義の昭和三十一年九月二十八日付再審請求申立書

一、弁護人丹篤名義の昭和三十二年十月九日付及び同年十二月十七日付再審請求補充書

一、同弁護人の昭和三十三年五月二十三日付「証拠提出に関する」上申書、同年九月一日付補充書

一、丹弁護人の昭和三十三年九月一日付「検事の聴取書三通について」と題する上申書

一、磯部、丹両弁護人の昭和三十三年六月十二日付上申書

一、平沢貞通名義の(1)昭和三十二年五月三十一日付上申書、(2)加納裁判長宛の「正審のために」と題する書面、(3)昭和三十二年五月三十日付審査要綱目と題する書面、(4)昭和三十三年二月二十四日付、同年五月三日付及び同年七月七日付再審補充書と題する書面

のとおりで、その要旨は

(一)、いわゆる帝銀事件の真犯人は平沢でなく張谷一郎であることが新に発見されたから、平沢に対しては無罪の言渡を為すべき理由があり、旧刑事訴訟法第四百八十五条第六号により再審請求をする。

(二)、帝国銀行椎名町支店の犯行現場に於て発見された指紋が犯人のものである。然るにそれは平沢の指紋と合致しない。

(三)、検事出射義夫作成の昭和二十三年十月八日付第六十回聴取書、同月九日付第六十一回聴取書及び同日付第六十二回聴取書は東京拘置所に於て平沢を取調べた上作成されたとなつているが、右両日同検事が平沢を東京拘置所に於て取調べた事実がない。従つて右調書は無効であり、この無効な調書を証拠に採用して平沢に対する判決言渡が為されている。

(四)、平沢に対し捜査官の暴行が加えられ、高木検事等共謀して平沢の自白せざる自白調書を作成し、証人に偽証させ裁判所もこれを看過し自白を唯一の証拠として平沢を死刑とした。一、二審の審理中にも数々違法の手続が行われ、平沢の無罪である証拠は明白である。第二審判決は事実を誤認したもので再審によつて正しい裁判を求める。

というのである。

被告人平沢貞通に対し昭和二十三年九月三日私文書偽造、同行使、詐欺、詐欺未遂の罪名で東京地方裁判所に公訴提起があり、次いで同年十月十二日強盗殺人、同未遂、殺人強盗予備の罪名で同地方裁判所に公訴提起され、同地方裁判所は審理の末右公訴事実全部を有罪と認め、昭和二十五年七月二十四日死刑の判決を言渡し、この判決に対し弁護人山田義雄らから控訴の申立があつたが、東京高等裁判所は昭和二十六年九月二十九日原判決を維持し、一審同様死刑の判決を言渡したこと及びこの控訴審判決に対し上告をしたが、昭和三十年四月六日最高裁判所において上告棄却の判決があつて東京高等裁判所の第二審判決が確定したことは、記録に徴し明らかなところである。

よつて先ず本件再審申立理由中平沢が犯人ではなく、他に真犯人が存するとの主張について考察すると、いわゆる帝銀事件の真犯人であるとされている千葉県野田町居住の医師張谷一郎は昭和二十九年死亡したが同人はその生前同じく野田町に薬局を経営する中野武義と親交があつたものの、昭和二十六年頃農地の問題で紛争を生じており、昭和二十七年十一月頃中野武義は張谷から精神分裂症と診断されて総武病院に入院させられたことから、精神病患者でないに拘らず張谷の策謀によつて精神病者にさせられたものとし、張谷に対し深く恨を抱き、同人が帝銀犯人に似ているとか、張谷の筆蹟が犯人の富士銀行板橋支店で小切手に裏書した筆蹟と似ていると言い出したことに端を発し、そう疑つてかかれば張谷は医師の事であるから青酸化合物を持つていたであろうし、帝銀事件で問題にされた薬瓶に似たものを現に入手していたかも判らないし、ピペツト類操作に熟達していたのはもちろんであるから、薬学方面の知識ある犯人との捜査当局の想定に合致し、寧ろ、平沢よりも容疑が濃いものがあるとし、果ては張谷は性格的に欠陥があり、患者から金を搾り取るに専心し今日の繁栄を招いたものの、昭和二十三年頃はその医院経営は困窮を極めており、そのため帝銀事件の如き悪虐無道の犯行を為し、その結果自責の念に馳られ、昭和二十九年二月脳溢血で死亡となつているが自殺と推定される節もあるし、松井蔚の名刺の如きも同人が仙台方面の親戚を訪ねた際入手する機会が十分あつたとして中野の協力者岩沢克が東京法務局人権擁護部にその旨上申し、同部がこの問題をとり上げ帝国銀行椎名町支店、安田銀行荏原支店、三菱銀行中井支店の関係者多数に張谷一郎犯人説の真否を確めんとし、張谷一郎の写真を示し犯人に似ているか否やを問い訊していた事実は認められるけれど、中野武義の論拠とするところは証拠即ち客観的な事実に基くものというよりは多分に同人の主観に立脚するものである。容貌が似ているといつても他人の空似という事もあり得るし、筆蹟の如きも、その真の筆者を探究する上にある程度の証拠価値を有することは否定し得ないにしても、指紋のような場合と異なり絶対不動の証拠たり得るものではない。現に平沢の裁判に当つても単に平沢の容貌や筆蹟のみによつて犯人なりと断定しているのではない。平沢が松井蔚と青函連絡船上で名刺を交換したとの事実に初まつて捜査の結果動かし得ない事実が判明し、これが公判廷において立証されたから断罪せられるに至つたものである。たとえば平沢が帝国銀行椎名町支店に於ける強盗殺人事件発生の日(昭和二十三年一月二十六日)に近接する同月二十九日林輝一という偽名で金八万円を東京銀行に預金した事実が存する。平沢は林輝一が実在人物であるとし、自己の東京銀行に対する右八万円の預金を否定していた。然るに平沢が所持していた林という印鑑が、東京銀行に預金をするのに使用した「林」という印鑑と同一であることが判明した。その外その頃妻まさ子に渡している金や、伊豆方面への旅行やら北海道帰省旅行等の費用などを入れると平沢は十数万円に及ぶ金を入手していると認められ、この金は現在の貨幣価値からみるとその数倍の大金であるから、その入手した時期、原因など忘れる筈もなく、平沢がこれを正当に入手したのであれば、それについて言を二、三にするなど、あいまいな点があるわけがないのである。然るに同人はその出所について或いは清水虎之助なる人物を作り上げ、同人から受領したといい(清水虎之助は実在人であり、捜査官もこれを調査しその実在を確認し居る旨主張する部分もあるが、そのような事実は認められない)或いは椎熊三郎、故花田卯造などの氏名をも持ち出して金銭の出所を弁解したが、その虚偽である事が次々と判明するに至り、更には平沢が一月二十六日帝銀事件の当日のアリバイを欺装していた事実も記録上明らかにされているのである。所論が真犯人だとする張谷一郎には松井名刺との結び付きを証明するものは発見できない。同人が病院経営に窮し財政的に困つていたとか性格的に惨虐な犯行の適格者なりと所論の主張する事もその当否を疑わしめるものがあつて、張谷一郎が帝銀犯人のモンタージユ写真の人相と似ていることが発見され、筆蹟も犯人と似ているからといつて、それをもつて真犯人であると断じ得ないのはもとより、(それが張谷の犯人たる証拠であるとの前提に立ち)、平沢に対する確定判決の正当性に疑問を抱かしめる程明確な証拠を発見したものとはいえない。張谷を容貌のみからみても、鼻下に髭を蓄えているが、帝銀事件犯人にはそのような特徴は存しない。もつとも東京法務局宛の岩沢克の上申書中に張谷は昭和二十三年一月初め頃髭を落した旨記載されているから、仮に右上申書のとおりとすれば、同人は昭和二十二年十月十四日の安田銀行荏原支店に於ける犯行当時未だ髭を蓄えていたものという事になり、同支店に於ける犯行とは関係のない人物という事になる。然るに同じ岩沢克が右上申書の追申として、張谷は昭和十六七年頃松井蔚が埼玉県衛生課長時代に名刺を交換している旨記載されているところからみると、張谷が松井名刺を所持しており、従つてこの名刺と関聯ある安田銀行荏原支店に於ける犯行も張谷の所為であることを間接的に主張しているのであり、そうとすればその当時即ち昭和二十二年十一月頃張谷一郎は鼻下の髭を刺り落していたことになるのであろうか。上申書に記載されたところではこの両者の関係を矛盾なく解決できない。しかもいわゆる松井名刺とは、印刷に顕著な特色があつて、医学博士の士がやや右に傾いていたり、学の最終画が完全な「一」とならず、その左方が点の断続からなり辛うじて一画を形成する如くなつていたりなどの点をみると、右名刺は松井蔚が仙台市に赴任後宮城県庁内印刷屋に注文して作り、昭和二十二年三月頃より使用し初めたものの一枚であること明白で、昭和十六、七年頃松井蔚が埼玉県衛生課長として使用していた名刺に宮城県庁内で印刷された名刺と同一特色が存すると認めることは著るしく我々の経験則に反するものといわなければならず、松井蔚と昭和十六、七年頃名刺を交換する機会を持つていたというだけで、安田銀行荏原支店における犯行が張谷の所為と結びつく可能性は絶対にあり得ない。この点中野武義に対する人権擁護委員磯部常治の調査書写では中野武義は張谷が宮城県に旅行した際松井名刺を入手したのではないかと思われると述べているが、それも同人の推測の域を出ず、張谷がいわゆる松井名刺を入手していたことの確証とはならない。中野武義及び同人の協力者といわれる岩沢克が張谷一郎をもつて帝銀事件の真犯人とする論拠たるや以上のとおりただ張谷を犯人といいさえすればその主張自体に矛盾があろうがなかろうが問うところではないという独断に満ちたものである。又張谷犯人説の根拠としてたとえば張谷方に犯人着用のものと類似した色眼鏡、鳥打帽子、洋服、オーバー、ゴム長靴があるというが如き、いわばどこの家庭にもあり得るような事実を挙げているに過ぎず、その他薬瓶、腕章、毒薬の存在などに関する見解も張谷が犯人であることの証拠価値を有するものと認められず、張谷が野田市社会福祉事業資金として寄附を申出たのが昭和二十六年一月二十六日で帝銀事件三周年に相当するというに至つては牽強附会も甚しいものと断定しなければならない。従つて中野岩沢両名のいわんとするところは結局張谷を犯人と為さんがため、若干の客観性ある事実に自己の空想と独断とを織り交ぜ、これに尾鰭をつけて平沢が犯人ではないことを力説するに止まるものというべく、又反面平沢に対し裁判所がいかなる証拠に基いて有罪の判決をしたかを顧慮するところなく、平沢が法廷に於て犯行を否定し、金の出所などについて首尾一貫しない供述をしている点を看過し、平沢の公判廷の供述はすべて誤なきものとの前提に立つて裁判に対する不信の念を醸成すべく努力しているものと断じても過言ではない。東京法務局人権擁護部がこの問題をとり上げたのは、中野武義が張谷に対し深い恨を懐いていることを顧慮せず、その論拠に対する検討省察を誤つたものであつて、軽卒の憾なしとしない。たとい同部の調査活動によつて事件関係者中張谷の写真をみて犯人の人相が張谷にも酷似すると述べている者が現われ、又張谷の筆蹟が犯人のそれと酷似していると判明しても、それが平沢に対する判決が誤であつたことを明らかに証明する新たな証拠とはいえない。

又帝国銀行椎名町支店にあつた金庫二個中右側金庫右扉内部上辺と同支店台所流し脇左側棚に載せてあつた湯呑茶碗とからそれぞれ指紋が発見されていることは認められる。(記録第十冊二、一九九丁二、二〇〇丁参照)そして右指紋は平沢の指紋と合致しないことは所論のとおりである。昭和三十三年三月二十七日附弁護人丹篤の上申書によれば右指紋は犯人が犯行に当つて使用した湯呑茶碗及び金庫に犯人が触れて生じたものとし、その前提に立つて平沢の指紋と合致しないことが平沢の犯人たることを否定するものというのである。しかしながら吉田支店長代理の席にあつた茶碗のように犯人がそれに手を触れたかも知れないものであれば格別、これとは全然別の場所にあつた茶碗から所論のような指紋が検出されているからといつて、それが犯人の指紋とはいえない。金庫内部の指紋も同様でそれが金庫内部の上辺にあるからといつて、いつ誰が触れて生じたものか不明で、犯人の指紋とはいえない。所論が引用する読売新聞にはそれが犯人の指紋だとの記事が記載されているけれどその内容の正確性については極めて疑わしいものであり、かかる資料によつて該指紋が犯人のものであると断定し得べきではない。従つて該指紋が平沢以外に真犯人が存在することの明確な証拠であるといえないのみならず、右指紋検出に関する書類が既に一件記録に編綴されていて、平沢事件の資料とされておりこれが検討を終つて判決をしたと認められる以上、それが犯人の指紋であることの確証がない限り台所にあつた湯呑や金庫内に平沢のものでない指紋があるということだけから、平沢に対する無罪を言渡すべき証拠を新たに発見したというに該当しないことも明白で、これが亦再審請求を為し得べき事由に当らないから論旨は理由がない。

次に検事出射義夫作成の聴取書を非難する論旨について考察する。なるほど所論聴取書三通はいずれも東京拘置所に於て作成された旨記載があるし、又東京拘置所長大井久が所論の如き回答を磯部常治にしている事実もそのとおりであると認められる。しかし昭和三十三年四月十八日付同拘置所長の法務省人権擁護委員磯部常治宛書面には、先の昭和三十二年十二月十三日付回答書に平沢が右期間内に(即ち入監後四、五日内に)検事及び事務官の取調を受けた事実がない旨の回答は、本人の身分帳簿等調査しても、当時当該事項の記載がなく、他にも右事実を記載した文書がないためで、調査不能と回答すべきであつたから訂正するとの趣旨の記載があり、このように先の回答書の内容が訂正されている以上、昭和三十二年十二月十三日付回答書の記載のみによつて直ちに出射検事が東京拘置所に於て平沢を取調べた事実がないと断定できない。所論は検事の取調も監獄法第四十五条の接見であり、身分帳簿に記入すべき事項であり、同帳簿にその記載がない以上は昭和二十三年十月八日及び九日の取調がなかつたものと主張するが、監獄法第四十五条第一項の「在監者に接見せんことを請う者あるときは之を許す」との規定は検察官が職務上在監者の取調に当る場合にも接見を請い、許可を受けなければならないことを規定した趣旨とは解し得ない。監獄法施行規則第百二十五条第一項に「在監者に接見せんことを請う者あるときは其氏名、身分、職業、住所、年令、在監者との続柄、及び面談の要旨を聞取り、許可を与えたる者には……」と規定してあり、接見を請う者に許可を与えると与えないとの裁量が存するものであるが、検察官が在監者を取調べることについてはそのような裁量の余地がないといわなければならないし又同条第二項に弁護人が接見を請う場合の規定を設けながら検事の場合を特に規定を設けず、同規則第百二十六条第一項に於て「接見は接見室に於て之を為さしむべし」とか同じく第百二十七条第一項に「接見には監獄官吏これに立会うべし」というが如き検事の職務上在監者を取調べる行為に適しない規定を存している趣旨に徴すれば、検察官の在監者取調は監獄法の接見というに当らないものと解するのが相当だからである。従つて検事が在監者を取調べる場合に所論のように身分帳簿にその旨を記載しなければならないものではなく、身分帳簿にその記載がないことから出射検事の東京拘置所に於ける取調がなかつたもので前記聴取の記載が事実に反するとはいえない。況んや、所論自体右聴取書の供述内容が偽造であることまで主張しているとは解せられないし、(大村鑑定人の鑑定書も同聴取書の偽造たることの資料にならない)その偽造であることを確定判決によつて証明されたとしているのでもないから、所論事由によつて平沢に対する再審請求は理由があるとはいえない。

最後に平沢貞通の所論についてみるに所論は被告人に対する拷問が行われたことを主張する外検事が証拠を偽造し、裁判官が之を観破する能力なく、却つて偽証を教導し証人もこれにより偽証を重ね無犯罪、無自白、無証拠の平沢を死刑としたというのである。しかし再審はいうまでもなく、確定判決の誤を是正するためのものである。確定判決前に既に主張されていた事実を新しい証拠を提出することなく再審請求に仮託し、再三既に主張された事実をくり返し主張するが如きは法律上許されないところである。本件再審請求に適用せられる旧刑事訴訟法第四百八十五条第六号はこの事を明らかに規定し「有罪の言渡を受けたる者に対して無罪を言渡すべき明確なる証拠を新たに発見したるとき」としているのである。所論の指摘する幾多事例はすべて従前第一、二審の審理に際し屡々主張し来つたものであり、しかもその理由のないことは第二審判決がその旨判文中に明示し、最高裁判所も右主張を採用できず、原判決には事実誤認の違法がないことを判示し第二審判決を維持しているところでもある。然るに所論はなお本件再審申出について従前の主張をくり返しているのみで、「無罪を言渡すべき明確な証拠を新に発見したるとき」というに該当しないし、その他旧刑事訴訟法第四百八十五条の定めているいずれの事由にも該当するものではないから、理由がない。

よつて本件再審請求はその理由がないから、旧刑事訴訟法第五百五条によつて主文のとおり決定する。

(裁判長判事 加納駿平 判事 足立進 判事 山岸薫一)

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